飛鳥時代

孝徳天皇

生誕・崩御

596年~654年11月24日

在位

645年~654年(10年)

和風諡号

軽・天万豊日天皇

父親

茅渟王(ちぬのおおきみ・ちぬのみこ)

母親

吉備姫王(きびひめのおおきみ・きびひめのみこ)

経歴

父は敏達天皇の孫で押坂彦人大兄皇子の子・茅渟王で、母は欽明天皇の孫・吉備姫王。
皇極天皇の同母弟にあたる。

軽(かる)皇子は幼名で、天万豊日天皇は和風諡号である。
643年、蘇我入鹿が山背大兄皇子を討滅したとき、入鹿の軍に加わっていたという。

「大化の改新」後、皇極天皇は、大極殿(だいごくでん)で蘇我入鹿が殺害されるというクーデターの責任をとって退位することになり、長子の中大兄皇子(後の天智天皇)を即位させるよう勅令を出した。

ところが、中臣鎌足が、中大兄の異母兄・古人大兄皇子や中大兄の叔父・軽皇子を差しおいて即位するのは人道に反するとして、結局、軽皇子が皇位を継いだ。

孝徳天皇は難波長柄豊碕宮(大阪市中央区)に都を遷した。
しかし、その実体は皇太子・中大兄皇子と中臣鎌足に操られる傀儡であり、中大兄皇子が「阿倍倉梯麻呂を左大臣に、蘇我倉山田石川麻呂を右大臣に、中臣鎌足を内臣(うちつおみ)に定めます」と奏上すると、黙ってうなづくことしかできなかった。

中大兄皇子の同母妹・間人皇女を皇后としたが、有間皇子は阿倍小足媛(おたらしひめ)との間にもうけた子である。
653年、中大兄皇子が間人皇后以下、皇室一族を引き連れて大和の飛鳥に戻ってしまった。

一人難波にとり残された天皇は、憂悶の日々を送るうちに退位を決意する。
山城の山碕に離宮を造らせている最中に病床につき、それから一年も経たずして崩じ、大阪磯長陵(おおさかのしながのみささぎ)に葬られた。

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