飛鳥時代

文武天皇

生誕・崩御

683年~707年7月18日

在位

697年8月22日~707年7月18日(11年)

和風諡号

倭根子豊祖父天皇、天之眞宗豊祖父天皇

父親

草壁皇子

母親

阿陪皇女(元明天皇)

経歴

天武天皇の孫で、草壁皇子(くさかべのみこ・くさかべのおうじ)の子。
母は天智天皇の娘・阿閇(阿陪)皇女(後の元明天皇)。

持統天皇十年(696)七月に太政大臣・高市皇子が没したのち、天武天皇の皇子らを抑えて立太子。
翌年8月、持統天皇の譲位をうけて15歳で即位し、藤原宮において、太上天皇となった持統と共に政治をとる。

このとき、大友皇子(弘文天皇)の子・葛野王は「子孫相承、以襲天位」と、早世した皇太子・草壁皇子の子の即位は当然であるとの感想を述べたという。

藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘・宮子を皇后に、紀竈門娘(きのかまどのいらつめ)と石川刀子娘を妃とした。
宮子との間に首皇子(後の聖武天皇)をもうけている。

大宝元年(701)、忍壁(刑部)皇子・藤原不比等らに命じて「大宝令」を完成させ、これを施行し、中納言をおいて官人の考選年限を短くするなど、慶雲三年(706)にその改訂を行った。
また、大宝二年には33年ぶりに遣唐使して、唐との関係を修復し、薩南諸島へも使者を派遣して、領土の拡大をはかった。

しかし、これらを実質的に主導したのは、文武天皇というよりも、やはり持統太上天皇であり、持統崩御崩御後は知太上官事・忍壁皇子であったと考えられている。

「懐風藻(かいふうそう)」に詩三篇、「万葉集」に天皇の作と思われる短歌一首が残されている。
父同様に早世し、檜隈安古岡上陵(ひのくまのあこのおかのえのみささぎ)に葬られた。
以後は、母・元明、姉・元正の女帝が続くことになる。

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