政治・経済の面で活躍していた武士が、文化の担い手となって誕生したのが室町文化です。
京都に幕府がおかれたことで、伝統ある公家文化と融合する一方で、民衆とも交流のある独特の文化が生み出されました。
室町時代には、南北朝時代に生まれた南北朝文化、大陸文化の影響を受けた北山文化、そして様々な文化の影響を受けて融合した東山文化が形成されましたが、北山・東山文化はこの時代の双壁を成しているものです。
南北朝文化が成立した時期は動乱の時代でもあり、歴史書や軍記物語が数多く作られました。
歴史書としては、源平の争乱から建武の新政までを公家の視点で記した「増鏡」があります。
南朝の立場から皇位継承について説いた北畠親房の「神皇正統記」、「梅松論」なども記されました。
軍記物語では、南北朝の動乱を描いた「太平記」があります。
公家、武家の間に広まったのが連歌で、その書として「応安新式(おうあんしんしき)」や「蒐玖波集(つくばしゅう)」があります。
北山文化は、3代将軍義満の頃の文化で、武家文化と公家文化の融合が特色となっており、それを代表するのが京都の北山に建てられた山荘・金閣寺です。
義満の時代に開花した室町文化は、8代将軍・義政の代に頂点を迎えます。
義政は京都東山に禅の精神を貴重とした簡素と伝統文化の持つ美意識を結集させた銀閣寺を建立、この時代の文化は東山文化と呼ばれました。
宗教面でいうと、臨済宗の夢窓疎石(むそうそせき)は足利尊氏の帰依を受けました。
疎石は安国寺・利生塔(りしょうとう)の建立を進言。
また、作庭への才能を発揮した疎石は、西芳寺庭園や天竜寺庭園などの名園を残しています。
水墨画では雪舟が、禅画から日本式水墨画の様式を確立します。
大和絵でも水墨画との融合を図った狩野派がおこり、狩野正信・元信父子が活躍しました。
現在にも伝わる日本の伝統文化、茶道(茶の湯)・花道(生け花)などもこの時代に基礎ができあがりました。