読み方
かんせい・くわんせい
西暦
1789年2月19日~1801年3月19日
期間
約12年
天皇・上皇
光格天皇
摂政・関白・将軍・内閣総理大臣
藤原(鷹司)輔平(関白)・徳川家斉(将軍)
勘申者
高辻胤長
改元理由
災異改元
出典
「左伝」の「施之以寛、寛以済猛、猛以済寛、政是以和」(寛を以て之を施す、猛を済(たす)けるを以て寛、寛を済けるを以て猛、政は和を以てす)から。
主な出来事
天明9年1月25日・・・天明の大飢饉や内裏炎上などのため改元。
天明7年~寛政5年・・・寛政の改革。
寛政元年・・・クナシリ・メナシの戦い。国後島と目梨郡(現在の北海道根室振興局)のアイヌが和人商人による酷使に耐えかねて蜂起する。
寛政2年5月24日・・・寛政異学の禁が出される。
寛政3年・・・尊号一件(朝廷が参議40人の群議で老中筆頭松平定信の意に反して光格天皇の実父典仁親王への尊号宣下を強行することを決定。朝幕対立の激化)。
寛政4年・・・島原大変肥後迷惑。眉山の山体崩壊による津波で死者15000人以上。有史以来日本最大の火山災害。
寛政4年9月9日・・・ロシア使節ラクスマン、大黒屋光大夫らを乗せて根室へ来航。
寛政4年11月・・・幕府、光格天皇父閉院宮典仁親王への尊号宣下を中止させる(尊号一件)。
寛政5年・・・仙台沖で寛政地震(死者44人以上)。
寛政6年・・・浮世絵界に東洲斎写楽が出現(10か月の活動の後、姿を消す)。
寛政10年・・・寛政暦を採用する。
寛政10年7月・・・近藤重蔵らが択捉島に渡り、「大日本恵登呂府」の碑を建てる。
寛政12年閏4月19日・・・伊能忠敬が蝦夷地を初めて測量。銀座改革。不正発覚を機に寛政の改革の一環として京橋の銀座を廃止。蛎殻町に銀座の機能を集約。中断していた南鐐二朱銀の鋳造を再開。
寛政13年2月5日・・・享和に改元。