読み方
かけい・かきょう
西暦
1387年10月5日~1389年3月7日
期間
約1年6ヶ月
天皇・上皇
後小松天皇・後円融上皇・崇光上皇
摂政・関白・将軍・内閣総理大臣
藤原(二条)良基(摂政)・足利義満(将軍)
勘申者
菅原(東坊城)秀長(前右大弁三位)
改元理由
疾疫。流行病にて前関白近衛道嗣が亡くなったことによる。
出典
「毛詩正義」の「将有嘉慶、禎祥先来見也」から。
主な出来事
至徳4年8月23日・・・疫病により改元。
嘉慶2年3月・・・足利義満が紀伊国和歌浦・紀三井寺を訪れる。
嘉慶2年7月・・・九州探題の今川貞世(了俊)が、九州で倭寇に誘拐された俘虜を返還する。
嘉慶2年9月16日・・・足利義満が駿河国に下向し、富士山を観る。また今川泰範を訪ねる。
嘉慶3年2月9日・・・康応に改元。