読み方
じょうわ・ていわ
西暦
1345年11月15日~1350年4月4日
期間
約4年4ヵ月
天皇・上皇
光明天皇・光厳上皇・花園法皇
摂政・関白・将軍・内閣総理大臣
藤原(鷹司)師平(関白)・足利尊氏(将軍)
勘申者
菅原在成(勘解由長官)
改元理由
水害・疾疫による。
出典
「芸文類聚」の「体乾霊之休徳、稟貞和之純精」から。
主な出来事
康永4年10月21日・・・天変・疫病により改元。
貞和2年11月9日・・・藤原(洞院)公賢、「風雅和歌集」を撰進する。
貞和2年12月28日・・・光厳上皇が倹約令を出す。
貞和3年1月・・・楠木正行らが住吉、天王寺瓜生野で細川顕氏や山名時氏らを撃破する。
貞和3年7月22日・・・花園上皇が僧慧玄に一流再興を促し、妙心寺の造営を託す。
貞和4年1月5日・・・四條畷の戦いで楠木軍が高師直・高師泰軍に敗れ、正行らが戦死する。高師直らは吉野を陥落させ、後村上天皇らが賀名生(奈良県五條市)に逃れる。
貞和4年1月26日・・・高師直、吉野を攻略し、吉野行宮・蔵王堂を焼く。
貞和4年10月27日・・・北朝の崇光天皇が即位、興仁親王(崇光天皇)が践祚する。
貞和5年4月・・・足利直冬が長門探題に任じられて備後国へ赴く。
貞和5年閏6月2日・・・足利直義と高師直の不和により、京中騒動する。直義、尊氏邸に避難する。
貞和5年8月・・・高師直の尊氏邸を包囲するクーデターで尊氏が弟の足利直義の執務を停止させ、上杉重能・畠山直宗らを越前国で処刑し、直義は出家する。
貞和5年9月・・・尊氏が足利義詮を鎌倉より呼び寄せ、足利基氏を鎌倉公方に任命し鎌倉へ派遣する。足利直冬の追討を決定する。
貞和5年11月11日・・・花園法皇が崩御する。
貞和5年12月26日・・・崇光天皇が即位する。
貞和6年2月27日・・・観応に改元。