読み方
こうあん・かうあん
西暦
1361年5月4日~1362年10月11日
期間
約1年6ヶ月
天皇・上皇
後光厳天皇・光明法皇・光厳法皇・崇光上皇
摂政・関白・将軍・内閣総理大臣
藤原(九条)経教(関白)・足利義詮(将軍)
勘申者
菅原長綱(刑部卿)・菅原高嗣(勘解由長官)
改元理由
天変地震疾疫等による。
出典
「史記正義」の「天下衆事咸得康安、以致天下太平」と『唐紀』の「作治康凱安之舞」から。
主な出来事
延文6年3月29日・・・改元。
康安元年6月・・・斯波氏経が九州探題となる。
康安元年6月24日・・・康安地震。「太平記」などに記述された大地震。南海トラフの巨大地震と推定される。
康安元年8月・・・菊池武光が筑前国で少弐冬資らを撃破し、大宰府で南朝の懐良親王を迎える。
康安元年10月・・・室町幕府執事(管領)であった細川清氏が失脚して南朝に降伏する。
康安元年11月・・・畠山国清が鎌倉公方の足利基氏と対立し、伊豆国へ逃れる。
康安元年12月8日・・・南朝軍が京都に迫るにより、足利義詮、後光厳天皇を奉じて近江に逃れる。
康安元年12月27日・・・足利義詮が京都を回復する。
康安2年2月10日・・・後光厳天皇が京都に還幸する。
康安2年7月・・・南朝に降った細川清氏が讃岐国(香川県)で戦死する。斯波義将が管領に就任する。
康安2年9月・・・伊豆へ追われた畠山国清が降伏する。
康安2年9月1日・・・光厳法皇、法隆寺に御幸、ついで吉野に赴き後村上天皇と会見する。
康安2年9月23日・・・貞治に改元。