平安時代末期になると、貴族中心だったそれまでの文化が、武士や庶民といった幅広い地方の文化などとも融合して、豊かで今までにはない斬新なものとなってきます。
庶民の間で人気のあった田楽や猿楽なども貴族の間に流行しました。
11世紀に様々な人々のありのままの生活を藤原明衡は「新猿楽記」(しんさるがくき)として著しました。
また、後三条天皇に登用された大江匡房は、芸能に関わる人間模様を「傀儡子記」(くぐつき)や「洛陽田楽記」(らくようでんがくき)として著したのです。
年中行事あるいは公事などについて示した「江家次第」(ごうけしだい)なども発表しています。
インド・中国・日本などの国に伝わる一千近い説話を収録した「今昔物語集」も編纂されました。
説話の他にも貴族や武士はもとより庶民の生活を描いているのですが、作者が誰であるのかはわかりません。
この時期は軍記物語と言われる初期の作品が生まれた時期でもあり、平将門の乱を描いた「将門記」や前九年の戦いを記した「陸奥話記」などが有名ですが、いずれも作者は不明です。
後白河法皇は、民間に流行した歌謡の今様を学び「梁塵秘抄」(りょうじんひしょう)として編纂しました。
貴族と庶民文化の交流をあらわす特徴的な著作として評価されています。
この時代の絵画の特徴は、大和絵の手法で描かれた絵に詞書で説明をする絵物語が多数作られたことです。
「伴大納言絵巻」(ばんだいなごんえまき)、「信貴山縁起絵巻」(しぎざんえんぎえまき)、「鳥獣戯画」(ちょうじゅうぎが)、「年中行事絵巻」などがあります。
この頃は写経が法華経の信仰と共に広く普及したのですが、高野山・熊野三山・観音霊場などの霊場参詣が貴族の間で盛んになると、その際に写経が奉納されました。
四天王寺の「扇面古写経」(せんめんこしゃきょう)は、地方の庶民生活を描いた貴重な絵画作品で、厳島神社の「平家納経」などは、平氏の栄華を物語る豪華な写経として知られています。
また、この時代になると、地方では京都の文化を積極的に取り入れ始め、宗教色の濃い建造物が建てられました。