平安時代

藤原氏と摂関政治

10世紀の始めになると、藤原氏が天皇の親戚となって政治の実権を握る摂関政治が行われるようになります。
嵯峨天皇の信任を得ていた藤原冬嗣(ふゆつぐ)は、皇室と姻戚関係を結び、清和天皇が幼少で即位した際に冬嗣の子の良房を摂政として事実上、政治を手中におさめます。

その良房は、他氏族の排除を進め、その間884年に即位した光孝天皇の世では、良房の養子の基経(もとつね)が関白の座につき、藤原氏は急速に権力を持つことになります。

基経が亡くなると、宇多天皇は摂政・関白を置かずに、当時学者として名を馳せていた菅原道真を登用するのですが、これを不満に思った藤原氏は次の醍醐天皇の時に、謀略によって道真を大宰府へ左遷してしまうのでした。
その後、醍醐天皇・村上天皇は親政を行ないますが、摂政・関白には基経の子、忠平が就き、実権を握り続けました。

藤原氏一族内部では、摂政・関白の地位をめぐって争いが続いていましたが、藤原道長がこの争いに勝つとようやく一族の争議はおさまります。
道長は娘4人を天皇や皇太子の妃として政治的権力を持ち、藤原氏の中でも頂点に立つ氏の長者として長く権勢をふるったのです。

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