710年、元明天皇のときに、藤原京から奈良の平城京へと遷都してからの時代を、奈良時代といいます。
この時代は80年ほど続きました。
藤原不比等(鎌足の子)を中心に律令制度が制定される頃、皇族と有力豪族たちの関係は均衡が保たれていたのですが、婚姻によって天皇との関係を強めようと勢力をのばした藤原氏によって長屋王の変(不比等の子4人が仕組んで長屋王を自殺に追い込む)が起こります。
ところが流行の天然痘のため藤原四兄弟は亡くなり、勢力は一時衰退します。
代わって政権をとった橘諸兄に対して反乱を企てたのが、大宰府に赴任していた藤原広嗣でした(藤原広嗣の乱)。
激戦の後、広嗣は鎮圧されるのですが、世情の動揺がおさまることはなく、文武天皇の次に立った聖武天皇は遷都を繰り返し、仏教に頼ることで局面を打破しようとします。
全国に国分寺・国分尼寺を造り、虚舎那仏(東大寺大仏)を建立しました。
娘の孝謙天皇の時代になっても混乱が続きましたが、その死後には財政悪化を立て直そうと、藤原百川ら貴族が中心となって、光仁天皇が擁立され、律令政治の再建が図られます。