奈良時代

大化の改新と律令国家

48歳で聖徳太子が亡くなると、蘇我氏は再び権力の集中をはかり、聖徳太子の息子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)一族を攻め滅ぼしたことから、皇族や豪族らの反発を招きました。

その頃中国では、隋から唐に国が代わり、律令法をもとにした中央集権的な国家体制をつくり上げ、朝鮮半島の高句麗まで遠征していました。
中国へ渡っていた留学僧らが帰国して、律令制度についての情報がもたらされると、日本でも唐にならって中央集権国家をつくるべきという気運が高まり、その最初の取り組みとして、蘇我打倒の計画が持ち上がります。

中大兄皇子と中臣鎌足らは、645年に蘇我蝦夷、入鹿親子を殺害(乙巳の変)し、孝徳天皇を擁立して中央集権的な改革、大化の改新を実施していきます。

新政権が出した改新の詔では、それまで皇族や豪族が土地や民を私有していたのをやめて、国の所有とする公地公民制、全国的な人民・田地調査により口分田を与える班田収授の法、全国を対象にした統一的税(祖・庸・調)制を定める新税制を打ち出し、また国の下に評(その後の郡)を設置して中央集権的な国家を目指しました。

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