読み方
じゅえい・じゆえい・しゆえい
西暦
1182年6月29日~1184年5月27日
期間
約1年11ヵ月
天皇・上皇
安徳天皇・後白河法皇
摂政・関白・将軍・内閣総理大臣
藤原基通(摂政)
勘申者
藤原俊経(式部大輔)
改元理由
災異改元
出典
「詩経」「周頌・載見」の「率見昭考、以考以享、以介眉寿。永言保之、思皇多祐。(率いて昭考に見え、以って考し以って享し、以って眉寿を介する。永く言(ここ)にこれを保ち、思(ここ)に皇いに多祜あらん。)」より。
「率いられて霊験昭かな周廟に参拝し、頭を下げて供物を奉げ、以って長寿を願うとともに、永く周の封建制が保持されて幸い多かれと祈る。」という意味である。
主な出来事
養和2年5月27日・・・改元。
寿永2年7月24日・・・平氏、安徳天皇・建礼門院を奉じて西走す。
寿永2年8月20日・・・尊治親王即位(後鳥羽天皇)。
寿永3年1月21日・・・平氏討伐の宣旨を源頼朝に下す。
寿永3年4月16日・・・元暦に改元。