読み方
えいしょう・えいじょう・えいじやう・ようじよう・えいせう・えいぜう・えいしやう
西暦
1046年5月22日~1053年2月2日
期間
約6年9ヶ月
天皇・上皇
後冷泉天皇
摂政・関白・将軍・内閣総理大臣
藤原頼道(関白)
勘申者
平定親(文章博士・左大弁)
改元理由
代治改元
出典
「書経」の「永承天祚」または「晋書」巻21礼志の「宜下奉二宗廟一永承中天仍上」によるという。勘申者は文章博士・平定親。
主な出来事
寛徳3年4月14日・・・改元。
永承5年1月・・・伊勢神宮の禰宜ら、神郡の民ら700余人を率いて入京し、祭主大中臣永輔の悲法を訴える。
永承6年・・・安倍頼時、国司に従わず。追討のため源頼義を陸奥守に任ずる(前九年の役)。
永承7年3月28日・・・藤原頼道、宇治別業を仏寺とする(平等院)。
永承8年1月11日・・・天喜に改元。