読み方
てんりゃく・てんりやく・てんれき
西暦
947年5月15日~957年11月21日
期間
約10年6ヶ月
天皇・上皇
村上天皇
摂政・関白・将軍・内閣総理大臣
藤原忠平(関白)
勘申者
村上天皇の勅定による。大江維時か。
改元理由
代治改元(災異改元説もあり)
出典
論語から「天之暦数在爾躬」
主な出来事
天慶10年4月22日・・・改元。
天暦元年4月26日・・・藤原実頼・藤原師輔兄弟が揃って左大臣・右大臣に昇進し、父の関白太政大臣、藤原忠平と共に太政官のトップを占める。
天暦元年6月26日・・・征西大将軍として藤原純友の討伐に功があった参議民部卿正四位下、藤原忠文が死没。
天暦3年8月14日・・・延喜14年以来長く太政官のトップにあった関白・藤原忠平が死没。貞信公の諡号が贈られた。
天暦3年9月29日・・・陽成上皇崩御。上皇歴65年は2位の冷泉天皇を大きく凌ぐ第1位であった。
天暦4年7月23日・・・後の冷泉天皇こと、村上天皇と藤原師輔女藤原安子との間に生まれた憲平親王が生後まもなく立太子。
天暦5年10月30日・・・撰和歌所を昭陽舎(梨壺)に設置。別当に藤原伊伊、寄人に清原元輔・紀時文・大中臣能宜・源順・坂上望城(梨壺の5人)を任命。万葉集に訓点を施し、後撰和歌集を撰す。
天暦6年8月15日・・・朱雀上皇が崩御。
天暦9年2月7日・・・藤原師輔、極位となった正二位に昇る。
天暦11年10月27日・・・天徳に改元。