読み方
こうにん・かうにん
西暦
810年10月20日~824年2月8日
期間
約13年4ヵ月
天皇・上皇
嵯峨天皇
改元理由
代治改元
出典
諸説あり
主な出来事
大同5年9月19日・・・代始により改元。
弘仁元年・・・藤原薬子・仲成ら平城上皇に政権を戻そうと謀って露見し、捕らえられる薬子の変。
弘仁2年・・・左右衛士府を左右衛門府に改める。
弘仁2年4月17日・・・文室綿麻呂を征夷大将軍に任ずる。
弘仁7年6月19日・・・空海が高野山での修禅道場建設を申請し許可される(後の金剛峯寺)。
弘仁9年11月1日・・・富寿神宝鋳造(皇朝十二銭の一つ)。
弘仁11年・・・弘仁格式完成
弘仁12年1月30日・・・藤原冬嗣、内裏式を撰進。
弘仁13年・・・景戒・日本現報善悪霊異記を編集。
弘仁13年6月4日・・・最澄、比叡山にて入滅。
弘仁13年6月11日・・・比叡山の戒壇設立を勅許。
弘仁14年4月16日・・・嵯峨天皇譲位、大伴親王即位(淳和天皇)。
弘仁15年1月5日・・・天長に改元。