奈良時代

天平

読み方

てんぴょう・てんぴやう・てんびゃう・てんへう・てんへい

西暦

729年9月2日~749年5月4日

期間

約19年8ヶ月

天皇・上皇

聖武天皇・元正太上天皇

改元理由

祥瑞改元

出典

諸説あり

主な出来事

神亀6年8月5日・・・「天王貴平知百年」の文字を背に負った瑞亀の献上により改元
天平元年8月5日・・・瑞亀の出現により天平と改元する。
天平元年8月10日・・・藤原光明子(正三位夫人)を皇后に立てる詔が出される。
天平元年8月24日・・・聖武天皇が朝臣達を集めて光明皇后立后の訳を説明する。
天平2年9月・・・諸国の防人を停止する。
天平3年3月・・・諏方国を廃して信濃国に併合する。
天平8月5日・・・舎人親王が諸司の四等官以上に「朝廷が人材不足だから良い人があれば推薦せよ」と言う。
天平8月11日・・・藤原宇合、藤原麻呂、葛城王(橘諸兄)、鈴鹿王らが参議になる。
天平5年1月1日・・・県犬養橘三千代(正三位)が薨去し、従一位を贈られる。
天平6年・・・遣唐使玄昉と下道真備(吉備真備)が種子島に帰り着く。
天平7年・・・新田部親王と舎人親王が死亡する。九州で天然痘の大流行が発生し、その後本州に伝播する。(天平の疫病大流行)
天平8年・・・県犬養橘三千代と美努王の息子・葛城王と佐為王が臣籍に下って橘宿禰を名乗り、橘諸兄・橘佐為となる。
天平9年4月・・・天然痘で参議藤原房前(参議)が薨去する。
天平9年7月・・・天然痘で藤原麻呂(参議)と藤原武智麻呂(右大臣)が薨去する。
天平9年8月・・・天然痘で藤原宇合(参議)が薨去する(藤原四兄弟が全て薨去)。橘佐為も死亡する。僧侶を宮中に召集して大般若経、最勝王経を読誦させる。玄昉が僧正となる。
天平9年9月・・・鈴鹿王(参議)を知太政官事に、橘諸兄(参議)を大納言に任命する。
天平9年12月・・・武智麻呂の遺児藤原豊成が参議になる。
天平9年12月27日・・・玄昉が聖武天皇の生母藤原宮子(皇太夫人)の病を祈禱によって治療する。国名を「大倭」から「大養徳」に改める。
天平10年1月13日・・・聖武天皇と光明皇后の娘・阿倍内親王(孝謙天皇)が皇太子となる(女性皇太子の唯一の例)。
天平10年7月10日・・・長屋王を誣告した中臣宮処東人が大伴子虫に斬殺される。
天平10年12月・・・宇合の長男藤原広嗣(従五位下)が大宰府に左遷される。
天平12年5月、聖武天皇が相楽にある橘諸兄の別荘へ行き、宴会で諸兄の息子橘奈良麻呂に従五位下を授ける。
天平12年8月29日・・・大宰府の藤原広嗣が、国政を批判し、玄昉と下道真備を排除するよう求める上表をする(藤原広嗣の乱)
天平12年9月3日・・・広嗣の上表が謀叛と断じられ、大野東人が大将軍として1万7千人の兵を率いて征討に向かう。
天平12年10月2日・・・聖武天皇、東国行幸に出発。
天平12年10月19日・・・旅行のため伊勢国に仮宮を造るよう天皇が命令する。
天平12年10月23日・・・逃亡中の広嗣やその弟藤原綱手が五島列島で逮捕される。
天平12年10月26日・・・「思うところあって関東に行く。そのような時ではないが仕方の無いことである」との勅が天皇から大野東人に発せられる。
天平12年10月29日・・・天皇、皇后、元正上皇、諸兄らとともに平城京を出発する。
天平13年2月14日・・・国分寺造立の詔。
天平14年・・・大宰府廃止。
天平15年5月27日・・・墾田永年私財法施行。
天平15年10月15日・・・大仏建立の詔。
天平20年・・・元正上皇が崩御する。
天平21年・・・聖武天皇、光明皇后、藤原宮子(皇太夫人)が出家する。
天平21年4月14日・・・天平感宝に改元

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